言葉にする。

わたしは間違いなく、他人よりも自分自身に興味がある人だと思うのだけど。


パートナーシップにおいて。


旦那さまには、自分の中でわかっていようと、わかっていなかろうと、その瞬間瞬間の気持ちを言葉にしようとしてきました。


時にはつかみどころがなかったり、時には乱暴に傷つけるような言葉だったり。

わたしの口から飛び出した言葉というピースを。

「こういうことかな?」「こう感じているのかな?」と彼が予測できるように。


パートナーシップにおいて。

間違いなく相性ってあるから、同じようにしてもわかってもらえないこともあるけども。

わかってもらえることもあると思うから。


せめて。

心の中で悶々しているよりも。

形にならなくても。

上手く伝えられなくても。

自分では何が何だかよくわからなくても。

言葉するのって大きいと思う。


少なくとも。

まだ付き合い始めた20代の時に。

わたし自身は何がなんだかよくわからないまま言葉にして。

自分ではサッパリ繋がらなかったんだけど。



彼は、「あぁ、こういうことか。」と納得していることが多かった。

自分自身でサッパリわからなくても、目の前にいる人が「なんとなくわかってる」と、「まぁ、いっかな」と思えてくるもので。

自分自身のことを全て理解なんてできてなくても良いし。

上手く表現できなくても良いから、カッコつけずに、言葉にするとよろしい。



旦那さまと一緒にいると。

「はるって、ホントわかりやすいよね。」と言われることが多い。

たぶん、「自分自身の気持ちに一番振り回されていたわたし」を基本ベースとしてよく知ってくれてるのも大きいと思うのだけど。

誰かにわかって欲しいという気持ちは、わたしのことを知ってほしいということだと思うのだよね。

知ってもらうということは、わたしにとっては、言葉にできる想いも、言葉にできない想いも、あれもこれも、なんとか口から吐き出して。

それを並べて、「あぁ、この人は、こういう想いを持っているんだね。」と、なんとなく感じてもらうことだったんだよね。


でもまぁ。

割とこういうのって面倒くさい性分ではあるから、「ほぅほぅ」となんだか楽しそうに対面してくれる人(旦那さまが正にこんな感じだったんだけど。。。笑)がいてくれる一方で、正に面倒くさいと感じる人もいるはず。

本当、こういうのって、相性なんだけどもね。

そもそもね、本当に心が開けるとか、開いちゃうとか、そういうのってほぼほぼ第一印象に近いくらいの最初に決まる気がする。

人って、頭よりも、心のが賢いからかな。