信じてます。

最近、見てて気になるフレーズが、「信じてます。」という言葉。


たとえば。


家族や、友達、大切な人を「信じてる」というのはね、わたしは良いと思っています。


というか。

「時にはしんどいことがあったとしても、信じようと決めた」とか。

「騙されたとしても、その可能性も含めて、信じることにした」とか。

逆説的だけども、関係を構築する上で、覚悟の伴う大切な気持ちだと。

わたしは、思ってます。



わたしが最近気になる「信じる」というフレーズは、誰かの情報や、その誰かそのままを「信じる」というフレーズのことね。

今の時代って、情報が飛び交っていて、良くも悪くも玉石混合で、その人の立ち位置や考えで大きく影響を受けてるんだよね。



人は家族に何かがあって気持ちが弱ったり、元気でも、気持ちが焦るあまり、普段はしない判断を下すなんてことは、普通にあると思ってます。

常に正しい判断をすることを課したり、当然正しい判断をするだろうと、自分自身に対して思うことは、案外危険が伴うと思います。

特に、「どうしてあんな判断をしてしまったんだろう」と思う人は、自分の中で抱え込まない方が良い。

物理的に、損得関係にない、信頼に足る相談相手を家族でも、友人でも、いる、ということが大事だと思う。
いるのに、「心配かけたくないから」とか「わたしことをわかってくれないから」とかで、切り離すのは、止めた方が良いと思う。

心配かけたくないと思うのなら、「大切な人が、自分の知らないうちに、困ったことに巻き込まれたらどう感じるのか」よくよく考えた方が良いし、巻き込まれることを思えば、相談の1つや2つ何でもないはず。

つまらないことを相談して。

なんて言われるなら、「自分で判断に迷うから、聞きたい。どう思う?大丈夫かな?」って、そのまま聞けばいい。

わたしのことをわかってくれない、、、と言うのなら、まずは伝えることから始めなくちゃ。

伝えることって、言葉にするって、すごく大切。

その上での、相手の考えそうなことの予想のパーセンテージが上がるし、上がっても、年齢と共に変わっていく部分があるから、常にアップデートは必要なんだから。





誰かの情報や誰かを「信じてます」とか「信じます」とか安易にコメントしてるように見える人って、

何かから抜けても、「ふと気づいたら、なんか、また、、、はまりそうな危うさがあるなぁ」と感じるんだよね。

みんながみんなそうだとは思わないけど。


「どうかな~」と思っていた人が、「え?そこはまる?」って感じで、まったく違う方向にはまってらっしゃるのを見て、やっぱり、危ういのかな?と気になってます。