らしいということ☆

私の母は、お人よしで、その母に似て、妹もお人よし。


この母の母である、祖母は、それに輪をかけてお人よしで、


人の為に喜んで力になる人で、それをいつも心配していた母。


この祖母と似たもの夫婦であった祖父は、起業して、得たお金を


自身の家族のためだけでなくて、戦後で困っている人たちが沢山


いるのだから・・・と、返してくれなくて良いから・・・と分ける、そんな


人でした。


この祖父は、才能もあって、子供にとっての本当に嬉しいこと、贅沢は


何であるかを知っていて、ホントに心優しい人で、


で、そんな祖父がしたいようにして良いよ・・・と言う妻がいて、


周りを幸せにして、自身も幸せな人であったろうな・・・と、


祖父が亡くなって50年経って、兄妹で亡くなった祖父の話を


するようになったという母から、聞いて、私が感じたこと。


祖父は、結核で倒れて、母が生まれて、3年後に亡くなったのだけど、


どこかで、祖父母が生まれ変わって、また出逢って、今度こそ、


2人老いるまで、一緒に年を重ねて欲しいな・・・と願っています。


私は、利用されているとわかっていても、力になる母を見てきたし、


人の言葉を選別しないで、そのまま受け止めて落ち込む妹を


よく慰めてきたから、「人が良いのも、程ほどにした方が良い」とか


「自分をもっと守って欲しい」という気持ちね、わかるよ。


母もね、自分以上のお人よしの母を持っているから、これまた


わかるし、そんな母を見て、「他所の人じゃなくて、私にもっと


優しくして欲しい」という気持ちも経験してるし、「利用しないで欲しい」


という気持ちも、わかってるし、その相手に言葉にして怒ることすら


あった人なんだよね。


周りの人がこう言うのは、「それ以上、傷ついて欲しくない」という


気持ちからだと思うから、そこにもね、愛はあると思うんだ。


傷ついて欲しくないのは、大切な人だから。


好きな人だからだものね。


でもねぇ。


それを止めろというのは、その人らしさを抑えこめということでもあるんだよね。


だから、「止めろ」と言われた人は、悲しくなるのかもしれないなと思う。


お人よしでも、良いんだよ。


ただし、自分を大事にしてね。


というのが、私の結論。


結局ね、お人よしはね、ずっとお人よしなの。


気持ちよく、お人よしであれるように、側にいるということ、伝え続ければ


良いと思ってる。


私自身については、無意識的に心許せる人、心開ける人、


子供が選別してるように分けてる気がする・・・ので、


あえて自分で作る必要はないなと考えてます。


(私は、自分のこと、お人よしだとは思っていないし、


大事な人や、好意を感じる人に優しくしてるだけだと


思ってるので、「心開く」という意味においてね)


でもね。


上手く選別できない時は、自身の心を守る為に、少しだけ


よろいをかぶれば良い。


そして。


傷つくことがあったとしても、そんな傷ついた自分を


「悲しく思ったんだな~」とか、「傷ついたんだな~」と


そのまま気が済むまで味わって、味わっていたら、


なんでもないことに思えるようになったり、


忘れてしまうかもしれない。


私が思う、人間に授けられた一番の才能は、忘れること


だと思っているから。


そんな風にして、傷ついたこと癒したら、良い。


よろいをつけないことで、傷ついたら、また癒せば良いんだと


思えるようになったら、よろいを外していても良いんだよ。


なんて思う。