祖母の死

私の祖母は、50代で、ある日突然倒れて、3日後に亡くなりました。


当時、私はまだ3歳で、母方の従兄弟達もまだみんな小さくて、


上は7歳から順に、1歳まで。


伯父さん達も、母も、祖母をサポートする為にバタバタしていて、


母が私を抱いて、3日ぶりに兄妹3人揃ったときに、意識を戻して


そして、亡くなったそうです。


みんな、お祖母ちゃんに生きてて欲しかった。


それは、亡くなって30年以上経った今も、そう。


お祖母ちゃんは、3人目の子供である私の母を産んだ時に、


夫が結核で倒れて、その3年後に亡くしています。


病気で元気になっていくなら良いけども、元気でなくなっていく人を


看病するほどせつないことはないと言って、生花を飾ることを嫌い


造花を飾っていたそうです。


だから、もし、自分が倒れたら、子供達の世話になりたくないと、


言っていました。


でも、みんなで手を合わせて、頑張ろうって思ってた。


このことは、少なからず、私に影響を受けてると思います。


まず、第一に、祖母のことがあったから、私には妹がいるということ。


祖母が亡くなった時、母は悲しくて悲しくて、寂しくて、どうしようも


なくて、過ごしていました。


祖母が亡くなった時、母はまだ26歳だったから、思いもよらなかった


というのもあるかもしれない。


母が私に話したことを総合すると、「覚悟ができていなかった」という


ことなんだと思う。


祖母が病気で倒れて、1年後とかであれば、少しずつ心の覚悟が


準備が出来ていたのかもしれない。


でも、そうではなくても、ホントに思いもよらず、ある日突然だったから。


このことを乗り越えるには、癒すには、ものすごく時間がかかるんだって。


ホントは、今も癒せてないかもしれないんだけども。


祖母を亡くした時に、仲の良い兄達はいるんだけども、ここに、この


悲しみを共有できる姉妹がいればな・・・と強く思ったらしい。


それが、私に妹がいる理由。


もし、母が亡くなった時に、私が1人にならないように、祖母が亡くなった


次の年に、妹を産んだのです。


もし、妹でなかったら、女の子を産むまで、産むつもりだったって。


母は、この気持ちが強いのか、私の従姉が女の子を最初に産んだ時も、


2番目の子が男の子だった時も、「もう1人女の子を産んだ方が良い。


自分が、友達のように話を聞けば良いんじゃなくて、自分がいなくなった


時の為に、もう1人居た方が良い」と話していました。


片方の従姉は、最初に双子の女の子を産んでいるので、もう1人の従姉に。


妹は、どうだったのかなぁ・・・2人目が予定よりも早くできてしまったし、


2人目も女の子だったからね。言われていないかもしれない。