愛されて育ったかどうかと、根拠のない自信があるかどうかの関係♪
根拠のある自信と、根拠のない自信、両方あると良いけれど、やっぱり、根拠のない自信の上に成り立つ、根拠のある自信があった方が、幸せな道だと思います^^
根拠のない自信があるかどうか。
これを育てる一番最初の機会は、生まれ育った環境で、いかに愛されて育ったかということ。
次に育てる機会は、恋愛が多いと思います。
私は、母に小さい頃から言われていた言葉に、
「どんな男性を選んでも良いけども、愛されて育った人を選んで欲しい。
両親に愛されて育ったかどうかじゃなくて、おじいちゃんおばあちゃんに育てられた人でもいいし、血のつながりがなくても誰かに愛されて育った人が良い。
両親が揃っていても、世の中には愛されて育っていない子もいるから、そこだけを見るのではないんだよ。」
と、ありました。
「愛されて育った」の定義は、人によって違うだろうし、これが正解ってのもないと思うのだけど、うちの母の場合は、「愛されて育った」=「自然に、自分に自信を持っている」の定義があったのだと思います。
もちろん。
母が、私と妹を、愛して育てているという自信の元の言葉だと思いますが。
愛されて育つと、自分がそこにいるだけで必要とされているということを体感しているし、
何もできなくても楽しそうにしているだけで幸せだと感じてもらえてるのを体感してるし、
悲しくて泣いている時も「そばにいてあげられるだけで嬉しい」と感じてもらえてるのを体感しているので、
自分はそのままで愛されているんだという自信を持っている可能性が高いんですね。
その自信は、どんなに苦しいとき、悲しいときも、ホントのホントには奈落の底まで落ちても、いつか浮かびあがるだけの生きる力があるということ。
だから。
母は、愛されて育った人を娘達が選んで欲しいと望んでいたんです。
(結果的に、母は望みは叶ったと結論づけてます)
10年以上前になりますが、父に彼を紹介しました。
正確には、私の実家に、彼が挨拶に来てくれたのです。
父と、スポーツや機械系、パソコンの話など、男同士の会話を2時間はたっぷりと楽しそうにしていました。
彼が帰った後、父が母に、
「あの子は、自分に自信を持っているね」と言っていたそうです。
私ね、これを最高の褒め言葉だなあ。。。と思いました。
いろんな話ができるからとか、感じよくいられるからとか、話を合わせることができるから、自信があるんじゃないんですよね。
そのままの自分で大丈夫。
っていう自信がある子だねっていうことが彼に対する父の印象で、すっごくすっごく嬉しかったの^^
ところで。
育った環境で、「根拠のない自信」が育たなかった場合は、ほかで育てるしかない。
その時は、誰かに認められたり、受け入れられたりすることで育てるのではなくて、
まずは、自分を受け入れ、愛し、大切にするのはどうすれば良いのか?
どうしたいのか?
ここに目を向けるのが一番の近道だと思う。
まぁ、不公平っていえば、そうだけどもね。
でも、方法は一つじゃない。
そして。
母が私たちに言っていたのは、「少しでも苦労して欲しくない」と思っていたがゆえの言葉であり、それ以上の意味はないと思うんだ(たぶんね)
根拠のない自信があるかどうか。
これを育てる一番最初の機会は、生まれ育った環境で、いかに愛されて育ったかということ。
次に育てる機会は、恋愛が多いと思います。
私は、母に小さい頃から言われていた言葉に、
「どんな男性を選んでも良いけども、愛されて育った人を選んで欲しい。
両親に愛されて育ったかどうかじゃなくて、おじいちゃんおばあちゃんに育てられた人でもいいし、血のつながりがなくても誰かに愛されて育った人が良い。
両親が揃っていても、世の中には愛されて育っていない子もいるから、そこだけを見るのではないんだよ。」
と、ありました。
「愛されて育った」の定義は、人によって違うだろうし、これが正解ってのもないと思うのだけど、うちの母の場合は、「愛されて育った」=「自然に、自分に自信を持っている」の定義があったのだと思います。
もちろん。
母が、私と妹を、愛して育てているという自信の元の言葉だと思いますが。
愛されて育つと、自分がそこにいるだけで必要とされているということを体感しているし、
何もできなくても楽しそうにしているだけで幸せだと感じてもらえてるのを体感してるし、
悲しくて泣いている時も「そばにいてあげられるだけで嬉しい」と感じてもらえてるのを体感しているので、
自分はそのままで愛されているんだという自信を持っている可能性が高いんですね。
その自信は、どんなに苦しいとき、悲しいときも、ホントのホントには奈落の底まで落ちても、いつか浮かびあがるだけの生きる力があるということ。
だから。
母は、愛されて育った人を娘達が選んで欲しいと望んでいたんです。
(結果的に、母は望みは叶ったと結論づけてます)
10年以上前になりますが、父に彼を紹介しました。
正確には、私の実家に、彼が挨拶に来てくれたのです。
父と、スポーツや機械系、パソコンの話など、男同士の会話を2時間はたっぷりと楽しそうにしていました。
彼が帰った後、父が母に、
「あの子は、自分に自信を持っているね」と言っていたそうです。
私ね、これを最高の褒め言葉だなあ。。。と思いました。
いろんな話ができるからとか、感じよくいられるからとか、話を合わせることができるから、自信があるんじゃないんですよね。
そのままの自分で大丈夫。
っていう自信がある子だねっていうことが彼に対する父の印象で、すっごくすっごく嬉しかったの^^
ところで。
育った環境で、「根拠のない自信」が育たなかった場合は、ほかで育てるしかない。
その時は、誰かに認められたり、受け入れられたりすることで育てるのではなくて、
まずは、自分を受け入れ、愛し、大切にするのはどうすれば良いのか?
どうしたいのか?
ここに目を向けるのが一番の近道だと思う。
まぁ、不公平っていえば、そうだけどもね。
でも、方法は一つじゃない。
そして。
母が私たちに言っていたのは、「少しでも苦労して欲しくない」と思っていたがゆえの言葉であり、それ以上の意味はないと思うんだ(たぶんね)