これからが大変。

わたしも夢中になっていた時期があるから他人ごとだとはまるっきり思わないんだけど、原発事故後に、生活の在り方に意識が集中し、結果的に離婚を選んだり、時に家族総出で九州の方へ引っ越した方々に対して、ここ数ヶ月感じるところ。

 

「わたしのこの心配が本当は何でもないことだったということになり、笑って『バカだと思うくらいに過敏になったよね』と言えたら良いなと思ってる」と言っていた方々。

 

割と普通にいらっしゃったし、結果的に関東や東北にそのまま住むことを選んだ方もいらっしゃった一方で、夫婦で意見が反りあわず離婚を選んだり、夫婦で話し合ったり説得したりして関西や九州に引っ越すことを選ばれた方もいらっしゃるかと思います。

 

結果的にそのまま住むことを選んだ方は、「色々心配になってしまってアレコレしたけども、杞憂に終わって良かった」と感じるかもしれない一方で、もう一つの選択をされた方々は、同じように「杞憂で終わって良かった」と何のわだかまりもなく全ての方が言えるのでしょうか。

 

わたしは、難しいと思うのです。

失ったものが大きければ大きいほど、震災後の数年に言っていたように「杞憂で終わって本当に良かった」なんて認めることは難しいでしょう。

「離れることを選んで正解だった」という答えにしがみつかずにいられるのでしょうか。

と、思うのです。

 

それが滑稽でもなんであったとしても。

 

 

現在のわたしはといえば、実際のところは、口に出さずとも、まだ震災前と同じような気持ちでいることは難しいし、わたしの気持ちが、自然に気にしないようになるまで、避けようとするでしょう。

たとえ、他の誰かから見てそれが滑稽であったとしても。

誰かに、表立って言うことはないでしょう。

そして、誰かに何かしら言われることもないでしょう。

 

何故なら、わたしは、外食時に取り立てて避けようとすることはないし、外食に偏りすぎるのも良くないから日々のうちご飯を大切にしたい気持ちであることに、震災前も震災後も変わらないからです。

 

ただし、これは、わたしは、何も失っていないからです。

もし、何かを失っていたら、認めるのは難しいでしょう。

 

わたしが違和感を覚える一番は、国内で旅行をした時に見かける外国から来られた人たち。

彼らは、海外に住む日本人以上に原発を警戒する情報に触れないのでしょうか。

彼らにとっては母国語であることも多いでしょう。

母国語である情報に触れて、日本に行っても大丈夫だと判断されて来られてる方々なのだと思うのが自然ではないでしょうか。